2018年08月09日

翁長沖縄県知事が逝去

 沖縄県の翁長知事が昨日逝去されました。自らの命を削り、命をかけて辺野古への新基地建設に反対してきた翁長氏に心より哀悼の意を捧げます。
 翁長氏と私は同じ年の生まれです。微力ながら翁長氏の遺志を引き継ぎ、沖縄に連帯し闘い続けることを誓います。
 命がけで政府と闘った政治家翁長氏の功績は、沖縄のみならず日本の人々の心と歴史に深く刻み込まれることになるでしょう。

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2018年01月04日

元市議中江昌夫氏逝去

 元船橋市議会議員の中江昌夫さんが、暮れに逝去され今夜、通夜の儀が執り行われた。
 中江さんとは40年来の付き合いで、20歳の年の差はあったが日本社会党の同志であった。
 中江さんは、動力車労働組合本部の書記長を務めた後、市会議員になった。
 中江さんは、組合をやめた幹部や国会議員をやめた者が市議会議員をやって、若い連中に県会や国政をやらせた方がいいと言うのが口癖で、我々若い活動家をいつも励ましてくれた。
 中江さんは、労働運動家であり政治家であるとともに月鈴子の俳号を持つ俳人でもあった。市政では船橋文学賞の創設や平和都市宣言の実現に貢献した。
 政治を愛し、俳句を愛し、若い活動家を育てた中江さんのご冥福を祈ります。合掌

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posted by 浦田秀夫 at 23:29| 千葉 ☀| Comment(0) | 訃報・追悼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月27日

母の三回忌

 今日、母の三回忌を鋸南町の真宗大谷派の寺院福蔵寺で執り行なった。
 母が亡くなって2年、兄弟、子供、孫たちと改めて母に感謝し冥福を祈った。
 お土産に房州びわを買ってきました。
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2016年06月04日

母の一周忌

 今日は、母の一周忌。鋸南町岩井袋にある浄土真宗大谷派の福蔵寺で法要を行った。
 昨年の6月6日に99才で去った母、極楽浄土で27年前先に逝った父に会うことができたかなー。
 鋸南町岩井袋は、小さな天然の漁港で母の生まれ育った場所であり、私の故郷でもある。
 母の実家はもとも漁師(船主)であったが、関東大震災で船が沈没し没落した。
 先の戦争末期、この小さな漁港は人間魚雷の発射基地となった。母からはこの小さな漁村に沢山の兵隊さんが来ていたとよく聞かされていた。
 戦争が長引いていれば、この魚雷基地は米軍の標的となり、漁村は全滅し、私も、私の子供も、孫も生まれてくることはなかった。
 母は大正、昭和、平成と生き抜いたが、気丈夫な典型的な大正の女性であった。

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posted by 浦田秀夫 at 21:30| 千葉 ☁| Comment(0) | 訃報・追悼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月20日

村松七郎さんを送る会

 去る10月24日、91歳で逝去された村松七郎さんを送る会が開かれた。市内で児童画教室を主宰しながら原爆の絵展をはじめ、反戦平和・社会運動に生涯をかけて闘い、生き抜いてきた村松七郎さんを偲んで市内、県内から多くの方々は参列された。
 秘書課長時代に親交のあった松戸徹市長からも村松七郎さんを偲ぶメッセージが寄せられた。
 村松先生は被爆者が描き残した原爆の絵についてこう述べていた。
「戦争を呪い、人間が殺されていくことへの無言の抵抗を示した絵は、昔から随分あった。ゴヤの『戦争の参加』の数々の絵、ピカソの『ゲルニカ』、また丸木位里・俊夫妻の『原爆の図』など、どれも平和を願い、戦争の愚かさを突き、人間の生命の尊さを示したものであった。これらの絵はみな、絵画としても芸術性の高いものであり、絵画作品として賞賛に値するものがあった。
 ところが、被爆者の描いた原爆の絵は、どれもみな拙ない絵ばかりである。芸術性の高いものでもない。まして絵画作品として描いたものではない。被ばくの体験の、ジッと耐えてきた思いの中からしぼり出た、やむにやまれない無言の叫びが絵を描かせたものであった。」
「これまで、原爆の悲惨さについて、いくたの証言はあった。たくさん書かれ、たくさん語られ、多くの写真も示された。だが、この絵を描いた人たちは、いつもいつも「そんなもんじゃない、そんなもんじゃない、」という思いが積もり積もっていたに違いない。だからこんなにも鮮明に、こんなにも見事に体験を表現しえないのであろう。描かれている絵はヘタだからこそ、それは絵としての存在ではなく、より確かに伝える語り部としての証言となっている」
 ここに村松先生の思想と平和への思いが明確に語られている

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2015年11月02日

村松七郎さんが逝去

 村松七郎さん(91才)が10月24日老衰で逝去され、葬儀は近親者で行われた。
 村松七郎さんは市内で児童画教室を主宰しながら、1984年から「ヒロシマ・原爆の絵展」を主催。東京大空襲など自らの戦争体験をもとに戦後、反戦平和の市民活動を続けてこられた。
 岡本太郎氏や阿部公房氏らと「世紀の会」でアバンギャルド(前衛芸術)活動にも参加。アンデルセン公園の「平和を呼ぶ像」は岡本太郎氏の作品で、村松七郎さんが当時の大橋和夫市長に岡本太郎氏を紹介して作成されたものだ。
 船橋・憲法を生かす会の結成にも尽力戴き、初代の代表委員になって頂いた。
 昨日、船橋・憲法を生かす会の第13回総会が開かれ、冒頭に村松七郎さんの逝去が報告され、故人の業績を偲び冥福を祈って黙祷を捧げた。

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2015年06月11日

母の浄土への旅立ち

 大正、昭和、平成と生き抜いた私の母が99才3ヶ月の天寿を全うし、6月6日に父と長男が待っている極楽浄土へ旅たちました。母が生前お世話になった皆様には心から御礼申し上げます。
 葬儀は、9日〜10日に家族葬で行ないました。おばーさん大好きの孫(6人)やひ孫(9人)に見送られの旅立ちでした。

 なお、明日予定していました一般質問は、準備の都合等もありまして取りやめることとしました。通告した質問については、次回以降に取り上げていきます。ご意見や情報を提供していただいた皆様にはお詫び申し上げます。

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posted by 浦田秀夫 at 10:21| 千葉 ☁| Comment(0) | 訃報・追悼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月29日

土井たか子さんが逝去

 元社会党委員長、元衆議院議長の土井たか子さんが85才で逝去されたことが報道された。1989年の参議院選、消費増税とリクルート事件が争点となり土井ブームで社会党が大勝した。その時の「山が動いた」セリフは有名だ。
 私もこの土井ブームが始まった頃の、1987年の市議会選挙で社会党から立候補して初当選をした。この時代は社会党が最後の輝きを放った時だった。しかし、それは長く続かなかった。91年の統一自治体選挙では「湾岸戦争」も勃発し社会党は逆風にさらされた。私は再選されたが、社会党は大きく後退し、土井さんは責任をとって社会党委員長を退いた。
 私は、選挙に勝って「山が動いた」といっても社会党の党員や機関紙が増えたわけではない。これは一時的なものでブームはすぐに過ぎ去ると思ったがその通りとなった。
 その後の社会党の凋落は坂を転がり落ちるような早さで進んだ。その背景には社会党の支持基盤であった総評が解散し、ソ連など社会主義体制が崩壊したことがあったが、それを加速させたのは自民党と連立政権を組み、消費増税を認め、安保、自衛隊を合憲と認める等これまでの社会党の基本政策を180度転換したことにあった。党は、社民党、新社会党、民主党への合流と3分裂し、現在に至っている。
 土井さんは憲法学者としても有名で生涯独身を貫いたが、「憲法と結婚した」と言われるほどの「護憲」の闘士であった。
 私たちはこの土井さんの意思を引き継ぎ、次の世代に日本国憲法を継承させなければならない。
 小さくなって絶滅寸前の社民党ではあるが、日本における唯一の社会民主主義政党であり、護憲の党である。今は党を離れているが、党外からこの党を絶滅の危機から救おうと思って日々頑張っている。3つに分かれた旧社会党勢力、それを機に党を離れた人々を再結集しょうと努力している。それが土井さんの遺志でもあると思う。土井たか子さんのご冥福をお祈りします。

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posted by 浦田秀夫 at 00:18| 千葉 ☀| Comment(0) | 訃報・追悼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月25日

松が丘でまたも交通死亡事故

 6月22日(日)午後1時過ぎ、松が丘4丁目から高根台団地方面に横断する交差点の横断歩道で、松が丘5丁目在住の民生委員のKさん(女性)がワンボックス車に跳ねられ病院に運ばれたが、その後死亡したことが昨日判った。
 事故の詳細や原因等はまだ判らないが事故のあった交差点は信号機のある交差点だ。
 5月21日に、松が丘バス通り(松が丘5丁目)で視覚障がい者とガイドヘルパーが信号機のない横断歩道を横断中に車に跳ねられ2人も死亡するとい痛ましい事故があったばかりだ。
 この事故に関して、13日に市と警察書から安全対策の説明があり、信号機設置要望書を地元町会・自治会、商店会から出すことになっていた矢先だ。
 信号機があっても安全ではないということになる。もちろん信号機の設置は必要だが、スピード制限やスピードが出ないような道路構造にするとか総合的な対策が必要だ。
 Kさんは我が清和町会も担当する民生委員で、献身的な活動で町会内の方々も大変お世話になった方だ。先ほど弔問してきましたが、Kさんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

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posted by 浦田秀夫 at 19:17| 千葉 ☁| Comment(1) | 訃報・追悼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年03月20日

岩佐悦治さんの死を悼む

 岩佐悦次さん(65才)の訃報が入った。なんとも悼ましいことだ。岩佐悦治さんは電電公社(現NTT)を退職し、日本社会党千葉総支部の専従を務め、新社会党結党に参加し新社会党千葉県本部の専従として活躍してこられた。 数年前に専従は辞め党県本部副委員長を努めながら地域の平和活動、護憲運動を担い、前回の千葉市長選挙では、市民の会の一員として熊谷市長の誕生に貢献した。
 岩佐さんとは全電通労働運動、社会党専従、新社会党の結成と活動など40年間以上同じ道を歩んできた。それだけに私が新社会党を辞める時大変心配してくれた人の1人だった。
 岩佐さんは長年の活動の辛苦が重ねって体調を崩していたことは聞いていたが、早過ぎる死はまだ志し道半ば無念に違いない。岩佐悦次さんの冥福を心からお祈り申し上げます。

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posted by 浦田秀夫 at 15:00| 千葉 ☁| Comment(1) | 訃報・追悼 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする