1984年から始まった原爆の絵展、今年はコロナ禍によって中止をせざるを得なくなりました。写真は昨年のものです。
船橋・憲法生かす会ニュース60号に寄稿した「被爆者の怒り、悲しみ核兵器廃絶への思いを伝える原爆の絵展」の一文を転載します。
故村松七郎先生が原爆の絵展を始めたのは1984年からですが、最初からお手伝いをさせていただいてきました。
船橋市は、1986年に平和都市宣言を行いましたが、当時は、下総基地の米軍使用反対運動(1982年〜)、平和都市宣言を実現するための署名活動など市民運動も活発に行われていました。また、1986年にはチェルノブイルの原発事故も発生し、市民の反核平和の意識が高揚していました。(私が市議会議員に初当選したのが1987年)
1988年にはアンデルセン公園(当時はワンパク王国)に平和都市宣言のシンボルとして岡本太郎氏製作の「平和を呼ぶ像」が建立されました。
この「平和を呼ぶ像」は村松七郎氏が親交のあった岡本太郎氏を当時の大橋和夫市長に紹介して建立されたものです。
被爆者が描き残した原爆の絵、被爆者の脳裏に焼き付いたその情景が、怒り、悲しみ、核兵器廃絶への思いとともに伝わってくるその絵は衝撃的でした。
原爆の惨状を記録した写真や、原爆の図などがありますが、被爆者自らの体験を描き残したこの絵の訴える力は他にはないと思いました。
私が担当した高根台地域では、最初の頃は団地集会場で、その後はジャスコ高根台店で、そして高根台公民館と35年間続けてきました。途中から二和公民館でも開催してきました。
平和都市宣言を行った船橋市は、毎年平和関連のフィルム、ビデオ、DVDを購入しています。この平和ライブラリーを活用し、親子で観る平和映画会も同時に開催してきました。
36年間続いてきた原爆の絵展、今年は新型コロナウイル感染拡大により中止をせざるを得なくなりました。新型コロナウイルに感染した人は世界で1,495万人、死者は61万人(7月23日現在)です。先の世界大戦以来の人類にとっての危機的な事態です。
しかし、人類はこれまで幾多の危機を乗り越え、その都度新しい社会、政治、経済システムを作ってきました。コロナ後の世界は、自然との共生、人々の連帯、新自由主義からの脱却、核兵器のない世界へと進化するでしょう。私たちの36年間の活動の成果が表れると信じています。命ある限りこの活動は継続し、後継者を育てバトンタッチをすることが大きな課題となっています。
posted by 浦田秀夫 at 10:44| 千葉 ☀|
Comment(0)
|
憲法・平和
|

|