2016年02月10日

船橋市都市計画の正と負の軌跡

 今日午前中は議会運営委員会。先週行った視察の感想を述べ合い、今後の議会改革の議論の進め方などについて意見を出し合った。
 午後からは都市計画審議会、西浦2丁目に設置される産業廃棄物(アスファルト、コンクリートがれき)の処理施設敷地の位置について、市長から許可することについての諮問があり、計画地は工業専用地域内にあり、車両の通行や、近隣への環境上の問題、都市計画上支障がないとして全会一致で了承した。

 船橋市の都市計画、都市づくりの歴史とも言うべき元市議の松永勝進氏(今は故人)が著した「船橋市・都市づくりの正と負の奇跡」を10年ぶりに目を通した。
 松永氏の著書によれば、船橋市都市計画の原点は、1952年(昭和27年)設置された船橋都市計画審議会の議論展開だとしている。
 この審議会の委員の一人に戦後の名古屋市の戦災復興の都市計画を立案した石川ひであき氏(故人)がいたということだ。当時田園都市であった船橋市に対し、3年間の在任中、船橋市に対しいかなる都市計画を提言したのか。興味はつきないとしながらこれらの提言の著述はない。
 1956年に市の新しいデザインとそれに対応する土地利用計画が決定された。これは首都圏整備法制定(56年4月)以前にグリーンベルト指定を拒否し、衛星・工業都市へむけて大きく舵を切り終わったと述べている。
 そして、住宅公団による1957年高根木戸区画整備事業、1963年の北習志野区画整理事業を実施するために無指定地域を住居地域に指定した。ここに船橋市の原型が形成された。
 1968年に新しい都市計画法ができるまで、市内では無秩序な開発が行われ、スプロール化が進んだ。学校が足りない、道路が狭い、下水道もない、公園が少ないという、いまでも船橋市の大きな課題となっている問題が発生した。
 そして、同時期に東京湾の50万坪の埋め立て計画や、船橋ヘルスセンターの設立が始まった。
 松永氏の著書にはこれらを巡る、利権・疑惑についても詳しく述べられている。この続きは次回にしよう。

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posted by 浦田秀夫 at 17:02| 千葉 ☀| Comment(0) | 市政・議会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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